真っ白なホワイトボード VOL.8
~福祉をサービス業へ、世界への挑戦物語~
第2章「介護はサービス業」
その3「動き出した事業」
「訪問入浴?そんなもん誰が利用するねん。」開口一番、その担当者は二人の青年の意見を馬鹿にしたように対応した。自衛隊が設置する被災地のゴムで仕切った浴場のようなものを連想したのであろう。一般の家庭での入浴の介助が、ほぼ不可能であることに思いが至らない。高齢者はもう入浴しなくてもいいとでもいうのか。高襟で不自由だからこそ、必要なサービスなのに。日本の行政の福祉に対する感覚の拙さに、木村も佐藤も情けなくて悔しくて、仕方がなかった。この国の介護サービスの道筋を、訪問入浴サービスから変えていかなければならない、それも早急に!と、二人は考えたのだった。
その希望の光となったものこそ、当時の芦屋市の決断である。
木村たちは、副業を続けながら、会社を存続させ、そして、自治体の担当者を説いて回った。請われれば、デモンストレーションも行った。
そして最初に動いたのが、芦屋市であった。芦屋市には芦屋市の思惑があったであろう。
入浴介護サービスが行われているほど、福祉に手厚い自治体ならば、歳をとってもそこに住みたいと、誰もが望む。住人が増えれば税収は上がる。税収が上がれば、自治体はもっと便利な手厚いサービスを住民に提供できる。
街の活性化とはよく言われるが、結局は、そこに暮らす人たちが、日々の生活の中で豊かで幸せだと実感できる施策とその実行能力があれば、定住人口は増え、税収は上がり、自治体のサービスは良くなるという良いスパイラルが、できていくのである。その試みの完成形に近いのが、後に木村たちが携わることになる静岡市のCCRC構想であるが、それはこの時からまだ30年以上未来の話である。
1987年4月兵庫県芦屋市より寝たきり老人および重度心身障害者に対する訪問入浴サービス業務を受託。
この芦屋市の受託を受けてから、次々と木村たちの事業に注目が集まり、今までそっぽを向いていた自治体が動き出すことになる。福祉における介護サービスは、この国の根幹を支えていく必要急務な事業として現在に至る事となるのである。
1990年2月 厚生省(現厚生労働省)所管社団法人シルバーサービス復興会社在宅訪問入浴シルバーマーク認定事業者の認定
1992年7月 大阪市社会福祉協議会より訪問入浴サービス事業を受託。大阪府下13の自治体より訪問入浴サービスを受託
1998年6月 大阪府豊中市より訪問入浴サービス事業を委託
1999年2月 神奈川県川崎市より訪問入浴サービス事業を受託し、首都圏でのサービスを開始
つづく