真っ白なホワイトボード VOL.4

~福祉をサービス業へ、世界への挑戦物語~
第1章「マイナスからの起業」
その3「真っ白なホワイトボードを前にして」

この国の高齢者福祉の歴史を紐解くと、その源流は、戦前の救護法から、戦後の生活保護法へと流れていく救貧政策にある。だが、国民の大多数が高齢者となる超高齢社会を見据えて、国は1989年に「高齢者保健福祉推進十カ年戦略(ゴールドプラン)」を策定。ゴールドプランで示された在宅福祉サービスの数値目標などの達成に向けて、1990年には福祉八法が改正され「老人保健福祉計画」の策定が、全ての市町村と都道府県に義務化された。しかし、10年を待たずして1994年には、「新・高齢者保健福祉推進十カ年戦略(新ゴールドプラン)」が策定される。そして、新ゴールドプランが1999年に終了するに伴って「ゴールドプラン21」が策定された。

このように、具体的な数値目標を掲げながら進められてきた在宅福祉であるが、高齢者の増加、家族の在り方の変化など、これまで要介護者を支えてきた状況は、大きく変化していく。そして、高齢者を社会全体で支えあっていく制度の必要性から法制化を進め、1997年に「介護保険法」が成立。そして、この法律は2000年に施工されることとなり、何度かの修正を行いながら、現在に至っている。


そんな歴史の中で、木村や佐藤が今でも後継の若者たちに伝えることのひとつに、1967年7月に定められた「老人福祉法」の第2条がある。

「老人は、多年にわたり社会の進展に寄与してきた者として、かつ、豊富な知識と経験を有する者として敬愛されるとともに、生きがいを持てる健全で安らかな生活を保障されるものとする。」


1986年秋。高齢者福祉、高齢者介護の最前線で、木村は佐藤とともに、その言葉を実現することに奔走していた。のちに木村は思う、日本の加速しながら変化する超高齢者社会は、介護サービスの新たな道を切り開くという、多大な使命を託して、我々を世に送り出したのではないかと。


ともあれ、訪問入浴サービスの仕事はスタートした。とはいうものの、事務所に掲げた予定表を書き込むはずのホワイトボードは、いつまでたっても真っ白なままである。訪問入浴サービス会社は、お客さまも増えず、経営は火の車であった。

「こんなんで、これからどないするねん。」

「このままやったら会社は潰れるで。」

「何、人ごとみたいにゆうとるねん」やるしかないやろ。絶対必要とされる仕事や。これだけは、石にかじりついてもやり続ける。」

佐藤がどなりつけるように言う。

「そやけど、こんな状態ではやっていけへん。」

「いつまでこんなこと―」

どうどうめぐりである。

うまくいかない時は、こんなもんやなと、佐藤に食って掛かるような周囲の言葉を、木村は半ばあきれて聞いていた。

つづく

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