真っ白なホワイトボード VOL.13

~福祉をサービス業へ、世界への挑戦物語~
第4章「革命」
その1「同志」

「企業は人なり」という言葉がある。倒産の危機におびえながらも、ひたすら突っ走っていた佐藤と木村だったが、自分たちが理想をもって懸命に仕事に向き合うことによって、期せずして思いを共有する仲間、いや同志が集まってきたのだった。田中朗義もその一人である。

高石市委託のデイサービスのドライバーとして採用された田中は、業務委託を請け負っていた「関西福祉ケアサービス株式会社」の面接で佐藤と木村に出逢う。有料老人ホーム「ロングライフ長居公園Ⅰ号館」ができて1年が経ったころ、そのⅠ号館での面接だった。まだ、介護の仕事以外に、ガードマンも露天商もうどん屋も、便利屋もしていた時代だ。本社は堺の諏訪の森の佐藤の実家でもあった。

「だから運転手だけでなくてね。入浴サービスもデイサービスも在宅介護もやったんです。そうそう、宝くじの手配もした。たこ焼き屋もやったなあ。洋服屋もね。そしてホームの営業活動も」

介護サービスの仕事が終わったあと、佐藤たちは、夜にチラシを一軒一軒の家に配ってまわった。佐藤は、幾つもの帽子を持っていて、その都度その都度頭に乗せ換えるようなものだと、田中に話した。

「いくつもの仕事を抱えてやっていたから、いろんな目線を持つことが大事だったんです」

それが、経験となって、自分を形成していく。大きな器となっていく。そんな貴重な時間を社員たちは共に過ごしていた。

「カラダは確かにしんどかったですよ。でもね、会社に来るのが楽しかった!人と会うのが嬉しくて仕方がなかった!」とにかく、佐藤のスピードと行動力には舌を巻いたという。

「食べるのも、歩くのも、全部早い。せっかちなんですね。今でもね、朝一番にやってきて、今から一緒に宮崎台(神奈川県川崎市にある「ロングライフ・クイーンズ宮崎台」)にいこかー、って」

佐藤の場を盛り上げるそのオーラ、豊富な知識。オリンピック競争訪問入浴といって一日何件回るか競争させたり、ゴルフ部があって合宿したり。とにかく、みんながつらい仕事も楽しんでできるように盛り上げていたという。すごく怒ることもあるが、佐藤の気持ちの優しさに誰もがほれ込んだ。

「このホームの庭も佐藤さんと作ったんですよ。土を入れたりして手作りのホームの庭を作りあげた。今は畑もあってじゃがいもや大根、玉ねぎにスイカも。果樹園もある。柿やレモン、梅、ブルーベリーも採れる。全て手作りで、作ってきたんです」

そう話す田中は、今までと変わりない、いやさらに日々が楽しいと笑う。

「一人ひとりの欲求が全て満たされていくようなホーム。それが私たちの創ってきたホームなんです。一緒にやってきて本当に良かったと感じています」

田中だけではない、そのように仕事を通して自分自身の人生の幸福を実現し、社会貢献したいと希望する人材は現在まで続々と集まっている。田中の入社から二年、佐藤と木村のもとに「ホームで働きたい」と、一人の女性が訪ねてきた。

つづく

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